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安全運行で気が付けること

昨日は不貞腐れて、ずっと布団で漫画を読んでいた。

感動できるものがあればだけども、無料で自分の欲してないものを読む時間は面白くもクソもない。

やっぱり、良書を購入するのがいい。

主にメールをすることにした。

腹を割った話がしたいとお願いして、思うことをちょっと書いた。

ずっとの付き合いで、主に警戒されないようにちょっとずつしか書かない。

長文でロジックが崩れたのを読まされるのも、逆の立場で客から受け取って、散々に書いてあるのを読まされる苦悩も知っている。

会話をしたいなら、小出しで、路線を安全運行するに限る。

というわけで、モヤモヤがあると前置きして、その経緯を少しだけ書いた。

冒頭だけしか書かない。

結論はお互いに話し合って出せばいいことだから。

起承転結の、起こす部分は、より慎重にするのがいい。

起こすところで失敗したら、感情面に話が持っていかれて、本質を見失う。

結局、深夜になって未明近くに、耳栓もしてアイマスクもして眠る。

薬を飲まないのは、あまりよく眠れない。

まあ、不貞寝するほど、頭に来てる時に爆睡出来たら、それ不眠症じゃねーし。

寝れるだけ、治ってるといえるわけで。

朝になってみたら、主から返答が来ていた。

思うところを箇条書きに、ちょっと多めに書いてある。

それについて、また考察を書いた。

やっぱり、正しい。

主は安全運行が確約されているなら、乗車は負担じゃない。

もちろん、荒れる運行でも厭わずに我慢しなきゃならないのは、覚悟はしてくれるけどw

そのやり取りの中で、メールのやり取りをしていて、やっと気が付けたことがある。

以前に、どうしてあんなにぶつかったのだろうかと、ずっと自分がよくわからなかった。

以前は、

苦痛をしに行くのが、自傷行為だった。

自分でできないレベルまで痛みを与えてもらうために行く。(ここは自覚していた)

今だって変わらないのだが、以前は「消えてなくなりたい」思いが強かった。

「どっかへ行きたい」が口癖だった。

それは、どこかへ旅行したいのではなく、(どこかへ消えてしまいたい)という意味であった。

自分の存在が苦痛だった。

そのために、苦痛を現実化して、実体験させてくれる相手が強烈に必要だった。

緩和な自殺行為であり、生まれ変わりの儀式だった。

だから、「痛い」と口が裂けても言うまいとしていた。

実際に言ったことはなかった。どんなに痛くても絶叫しても、言葉ではなく叫びだけだった。

(ここまでも大いに自覚していた)

それは当然、肩ひじを張って、自分を限界まで突っ張って、挑ませているからできることで

限界まで突っ張っていたからだと、さっき分かった。

そりゃあ、主の不用意な言葉で喧嘩になったりもするのも、当然かと気が付けた。

自分が自分に挑みにいく、その限界値へ挑戦するのだから、ピリピリもするし虫の居所が悪いときもある。

その挑むのが他力本願であるのが問題で、

他力だからこそ、与える相手の言葉がブチッと怒りに繋がったら、自分でも手に負えなかったのだろう。

あの頃は怒りを抑圧して暮らしていたから、怒りが出てしまうと、収まらなかったのも確かにあるけど、

そんなことよりも主への怒りは、私自身が自分に対して突っ張っていたからだ。

与える主への突っ張りも、当然あったから、「痛い」などと死んでも口にしたくなかったのだろう。

突っ張っているから、テリトリーへの侵入も過敏に反応し、与える側の主へは、時に強くぶつかることへと繋がったのだろうと理解ができた。

突っ張るのは、誰に対しても疲れる。

今は主が少しずつ肩の力を抜くように、徐行運転の仕方や、いろんなものを与え、教えてくれて、私は自分の人生では諦めていた自由を手に入れようとしている。

もはや突っ張る意味は、別のところにあって、主ではない。

まして、行為への八つ当たりでもない。

主から見れば、前は言わなかった「痛い」だとか「いやーー」とかが、私の反応が違うということらしいw

私にしたら、己も素直になったなぁと、実は感慨深く感じていた(爆)

それ、言おうよw

お互いにさwww

男の人に、安全乗車しない列車に、お乗りなさいよというのはムリなんだよな。

それがいくら、自分の状況でどうしようもない理由があるとしても、安全運行はしなくちゃだ。

だから、もっとフランクになりたい。