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令嬢ジュリー(芝居)

評価★★★+☆☆(3.5)

シアターコクーンで上演中

親しいご令嬢が身近にいないので定かではないが、時として身分差を越えた恋に芽生えてしまうのは、人間の性として十分理解できる。盲目的に突っ走るジュリー(小野ゆり子)は、世間知らずな無邪気ゆえの残酷さで、恋仲の男女(ジョン、クリスティン)の心を揺さぶる。制御不能な恋心は諸刃の剣となり、棘の道を自ら突き進むことになる。

スウェーデンの劇作家ストリンドベリ作「令嬢ジュリー」の日本上演を紐解くと、俳優座に行き着く。1958年にはレパートリーシステム(曜日ごとに異なる作品を上演)の日曜日の演目として初採用。仲代達矢が、師匠千田是也の当たり役ジョンを演じた。

使用人が叶わぬ恋に奔走し、令嬢と共に破滅へとまっしぐら。典型的な悲劇である。仲代が「傲慢さとコンプレックスを表現する難役」と語るように、主体的な役割を果たした。

対して、今回のジョンは基本的に受け身。ジュリーの本気度を探りながら、次第に熱量を上げていく。心底には冷めた感情も垣間見える。これが現代性というものか。今時の草食男子の影がちらつく。

演出が女性というのも変化の要因かもしれない。気鋭の演出家小川絵梨子は、戯曲を読んで「女を舐めてるのか」と憤ったという。

そこで小川がジュリーに与えた末路は、堕落でなく生き方の発見である。つまり一夜の過ちを通じて、大人の階段を登るのだ。クライマックスは悲劇的でなく、前向きな印象を受ける。

小野ゆり子は、「高飛車」から「迷える子羊」まで、ジュリーの変化を体現していた。嫌悪感を抱かせる前半と、同情したくなる後半。観客の心を揺さぶり続けた。単に容姿がよいとか感情的に演じたとかではなし得ない、深みのある玄人好みする演技だった。

ジョンは、ミュージカル俳優の城田優。本格的なストレートプレーは初挑戦という。率直に言って、使用人には見えない。駄目男のはずが、城田の王子様オーラがそう感じさせない。配役に無理があった。

二人に振り回されながら、自分の信念を貫くクリスティンは伊勢佳世。劇団イキウメを退団してフリーで活動を始めて以降、活躍の場を広げている。常に自然体で芯の強さを感じさせる役柄は、伊勢にぴったり。

横恋慕されながら真正面から反論できない。それでも、ジュリーの生き方が間違っていると思ったとき、尊敬できない人間に遣えることはできないと職を辞す覚悟を見せる。

厳格なクリスチャンとして礼拝に向かうシーンを差し挟むことで、彼女の豊かな精神性に触れられた。夢ばかり見て現実感のない二人と、生活臭漂うクリスティンの対比が鮮やかだ。

舞台後方にある高い壁と左上方から下る階段の存在が、外界と使用人の部屋の格差を冷酷なほど鮮明に現している。日の当たらない地下空間は、チェーホフどん底」の世界に思えた。

ジュリーとジョンが過ごす北欧の夏至祭の一夜、たくさんの浮かれた男女が、その部屋になだれ込む。数十人のアンサンブルが狂乱ぶりを表現した。残念ながら、蜷川組のような熱気は伝わってこない。作品全体のアクセントという意味でも、振り切った感情表現が欲しかった。