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良い/悪い、とか

逃げる/立ち向かう、とか、そういうふうに考えること自体がそもそも不自然で俺からすると不思議な物事の捉え方だ。

生きるということは、なにか目的があってそれを達成することではない。

人生というのは、数限りない連続した選択や決定を絶え間なく行いながら死ぬまで生きることであって、それ以上でもそれ以下でもない。その途上で対峙する対象や状況によって、当然ながら「押す」局面もあれば「退く」局面もある。

退いたからといって、迫り来る危機や脅威が永遠に去ってしまうことはないし、押して乗り切ったり克服したりしたところで、多くの場合その根本原因が完全に解消されるわけではない。押そうが引こうが「立ち向かっている」ことに変わりはないし、それが終わることもない。

そもそも人生に於いて、言葉通りの意味で「逃げる」ことなど不可能だ。

唯一「逃げる」と呼んでいいものがあるとすれば、それは自殺によって「生きることから降りる」ことだが、その決定には「結果をどう捉える」というような続きや先はない。終わってしまったものは反省や影響も無く(それはすでに「人生」ですらない)、当然のことながら良かった/悪かったなどの評価は無意味だ。

負けて死んでいない現状がある以上、誰もが厳しい人生に於いて「勝ち続けている」ことを意味する。卑怯な手を使おうと、回り道をしようと背を向けようと時間稼ぎの退却をしようと、それらはすべて「勝つために選択してきた戦術」である。生きている人間が振り返って後ろにあるものは全て必然であり、どうしてもそういう判定をしようとするのなら全面的に「良い」に決まっている。

■「逃げていい」という言葉は無責任なのか 匿名ブログに批判相次ぐ「立ち向かって死ぬよりマシ」「過労死するぞ」

(キャリコネ - 04月04日 17:22)